ホーム過去の展示
 
展示期間:
TOP
心臓病センター榊原病院8階の医療情報の泉(図書室)にて展示中
過去の展示歴
4月18日(明和8年3月4日)はなんの日
この日杉田玄白、中川淳庵、前野良沢は千住小塚原で刑死体の解剖を見学した。このとき良沢は持ってきた解剖書を取り出した。玄白も同じ本を持っていた。
その本はクルムスのドイツ語のターヘル・アナトミアのオランダ訳である。
この本の図と実際の死体とが一致したことから、この本の和訳に取りかかり苦心の末完成したのが「解体新書」である。
この本は医学のみならずわが国の思想にも大きな影響を及ぼした。
当院は2冊のドイツ語本と解体新書4種類(全部で12種類あるといわれている)を所蔵している。
展示期間:2008/4/17〜5/11
TOP
永井廣氏よりご寄贈いただいた書籍
 
展示期間:2008/4/1〜4/16
TOP
榊原宣理事長「山陽新聞賞」受賞
 
展示期間:2008/1/4〜2/29
TOP
当院蔵書となった書籍
1.扶氏経験遺訓  緒方洪庵 訳述
本編25冊、薬方編2冊、付録3冊
2.瘍科秘録  本間玄調 著
正編10巻、続編12巻
3.眼科新書  杉田立卿 訳述
5巻、付録1巻
展示期間:2007/10/4〜
TOP
この事件(昭和11年12月16日)より心臓外科は始まった

組み敷かれて下から一刺
岡山局新築工事場の喧嘩 前夜の勘定出入りの遺恨

夕刊所報=岡山郵便局新築工事場を血で染めた殺人未遂事件に関し東署では・・・

"五銭"の恨み 土工が同僚を刺す

(夕刊一部所報)16日朝7時半ごろ岡山市西中山下岡山郵便局工事現場で下請負人兵庫県揖保郡御津村生れ勘治ことAを(36)短刀で瀕死の重傷を負わせた島根県邑智郡吾郷村土工B(31)につき東署では殺人未遂容疑で取調中であるが・・・

展示期間:2006/10/26〜2007/2/1

TOP

『サザエさんと私』

理事長 榊原 宣

 サザエさんこと長谷川町子さんが1967年に手術を受けられたとき、私(当院 榊原 宣理事長)が受持医でした。

その後、町子さんの一生を通じて医療面の相談にのっており、二人の間の信頼関係は1992年、町子さんが亡くなるまで続いていました。

この病院においでになる病客さまと当院医療関係者の間に育まれる信頼関係を大切にいたします。これが当院のモットーです。「サザエさんと私」、ごゆっくりご覧ください

展示期間:2006年7月1日〜2006年10月20日
TOP
『心臓外科の70年』

わが国心臓外科発展の歴史を出版物から振り返ってみる企画展です。どうぞご覧下さい。

「心臓外科の70年」小史
1936年(昭和11年)12月榊原亨がこの病院で心臓外傷に付して、世界で始めてガーゼで纒絡終止血術を行い、成功しました。

1937年(昭和12年)

4月日本外科学会で発表。この手術はわが国の心臓血管外科の扉を開いたと評価されました。
この手術に関して、大阪帝大小澤凱夫教授との論争は4年にも及び、論争を通して、新たな診断法、外科手術が開発されました。

1937年(昭和12年)

12月日本ではじめて狭心症に対して心臓に大網移植術を行いました。
1939年(昭和14年)
4月日本外科学会で「心臓鏡に就イテ」を発表しました。
1941年(昭和16年)3月世界ではじめて心臓鏡直視下に僧帽弁閉鎖不全症の手術を行いました。
1943年(昭和18年)
4月日本外科学会総会宿題報告「心臓外科」担当しました。
1951年(昭和26年)
5月榊原亨は弟、仟(東京女子医科大学教授)とともにボタロー管開存症の閉鎖手術を行い、成功しました。この手術は戦後わが国の心臓外科の再出発となりました。
1954年(昭和29年)1月榊原亨は仟とともにこれまでの心臓外科の研究と臨床をまとめ、「心臓外科」を出版しました。この著書はわが国の心臓血管外科に関する成書の第一号となりました。
以後、仟によってわが国の心臓・血管外科は急速に発展をとげ、多くの出版物が出版されました。いま、これら出版物から心臓血管外科の歴史を振り返ってみます。
展示期間:2006年3月24日〜6月20日
TOP
『解體新書とその時代』
展示期間:2005年9月28日(水) 〜 

杉田玄白による「解體新書」の出版は、わが国の医学のみならず、諸科学思想発展の出発点であった。

当時の医書から、医学の情勢をしることは、今時代転換期にあるわれわれにとって大変参考になるように思われる。

展示:2005年9月28日〜
TOP
『著名人の書』(その1)
展示期間:2005年7月30日(土) 〜 
当院では、紹介医の先生方をお招きして毎年1月、前の1年間の手術成績などを報告し、
ご批判をいただき医療の改善に努めております。
同時にわが国の各分野で活躍中の著名人にお出でいただき、特別講演をお願いしております。
その折、著書に署名をいただいております。
この病院の貴重な歴史であります。ご覧いただければ幸いです。
展示:2005年7月31日〜
TOP
『日本人のみた心臓』
展示期間:2005年3月7日(月) 〜 3月21日(月)

心臓は血液循環系の中枢器官。この心臓を日本人はどうみてきたのだろうか。
日本人のみた心臓にしぼって当院蔵書を展示する。
臧志:山脇東洋(1705〜1762)がわが国最初のヒトの解剖所見を1759年(宝暦9年)に印刷、「臧志」乾・坤2冊として公表した。彩色された4図の解剖図に、心臓は画かれている。

解體新書:1774年(安永3年)8月、杉田玄白(1733〜1817)らによって「解體新書」が本文4巻と序図1巻からなる5冊本として出版された。
心臓に関する記載は、巻の三の「第十五 心篇」である。心房の役割にふれていない。
しかし、血液循環の説明がされている。これはわが国で血液循環を完全に記載した最初の記事である。

黄色表紙本は一般向け市販用に、そして緑色表紙本は朝廷、幕府、五攝家などへの献上用のものである。
重訂解體新書:杉田玄白の命によって、大槻玄沢(1757〜1827)はクルムス解剖書を訳しなおした。
出版は1826年(文政9年)であった。全部で13冊と銅版の解剖図1冊とからなる。

クルムスの解剖書:解體新書も重訂解體新書も原本はドイツ語版のクルムス(1689〜1745)解剖書である。
ビルロートの伝記:ビルロート(1829〜1894)は有名な外科医だが、「心臓を手術しようとする外科医は、外科医としての尊敬を失うであろう」といっている。

タブーにメスを入れた外科医:ビルロートの言葉にもかかわらず、当院の創設者 榊原亨(1899〜1992)は1939年(昭和14年)、日本外科学会で「心臓鏡ニ就イテ」を発表、生体の心臓の内腔を世界ではじめてみたことを報告した。

宣は著書「タブーにメスを入れた外科医」(毎日新聞社,1993)で亨の苦闘を記している。
田原淳の生涯:田原淳(1873〜1952)は心臓を解剖して房室結節(田原の結節)を発見、さらにこの結節から筋線維束に続くという刺激伝導系を介して、心房の収縮が心室に伝えられることを1906年(明治39年)発表した。

心 臓 鏡 榊原亨は心臓を大きく切開することなく、簡単な方法で、心臓内腔に到達しようと考えた。
亨は1938年昭和13年、心臓内の血液をリンゲル液でうすめて、観察する方法を思いついた。
このアイディアはイカが墨を吐き出した瞬間、イカの周囲はまっ黒くなり、イカは見えなくなるが、やがて、海水でうすめられて、イカの姿がみえてくる。

この事実を逆手にとって、心臓内の血液をリンゲル液でうすめて、心臓内を観察することを思いついた。
この心臓鏡を用いて心臓内を観察するのみならず、写真、または映画撮影できるものとした。  
1939年4月、亨はこの心臓鏡によって、それまで人類がなしえなかった心臓弁膜の観察に成功し、日本外科学会総会で発表した。  

亨の言葉。
「この心臓鏡こそは日本の心臓外科をして泰西追従から初めて先達者の地位に転換凌駕せしめえたわれらの産物である」と。この発言に対して、日本外科学会会員はこれを支持し、会場拍手鳴り止まず・・・と記録されている。

展示:2005年3月7日〜3月21日/2005年5月21日〜5月29日
TOP